父のこと~その7~

2018年8月9日

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※別ブログから記事を移動しました。 2011年のことで、覚書として載せておきます。

一番思い出したくないことはもう書いた。
これは後になって読み返すとまた違った考えになっている
とは思うのだけれど

今は主治医だいっきらいと言うことで・・

でもお世話になりました。

(2011年)9月18日に病室に行くと父はおう吐していました。
しかし、内容物がないので痰しか出ない。
それでも出たらすっきり(?)するのかそれで終了。

多分、すっきりはしていないと思う・・・(´・ω・`)

おう吐が30分~1時間おきにあるので、ずっと見ておかないといけない。
(詰まらせると危ないので)
寝たままで起き上がれないので「おぇっ・・・おっ・・・」というと
すぐにベッドをあげて体を起こし、吐きやすいようにする。
ベッドが斜めで、寝たままだとやはり吐きづらい。

でも、私がいなければこのまま拘束されててナースコールも押せないし、
母も寝るだろうし、どうしたんだろう?ってぞっとします

看護婦さんも24時間看護ではないし・・・。
(人が足りないから睡眠薬で眠ってもらうと言われた)

やっぱり帰省してよかったと思いました。

朝6時35分の飛行機で2~3時間しか寝てなかったので
病室で夕方仮眠を取らせてもらいました。
夜中は私が起きて見るつもりだったので、寝てしまっては
大変なことに・・・。

母がいる間、しばしの仮眠・・・。

うとうとしていると

「かぼすは・・かぼすはどこや?」と父が言っています。

母が「ここに寝てるよ。夜中、かぼすがみてくれるからね。」

と会話が聞こえてきました。

ちょっと目を開けてベッドに向かって「よっ」と手を挙げて
ここにいるよーアピールをする私。

拘束を解いている条件として「常にそばに誰かがいること。」
トイレもちょっと目を離したすきに何をするかわからないので、
極力食べず・・飲まずを心がけました。

8階に食堂があったのですが、一人で食べに行くのは
イヤなので売店でちょっとしたパンとお茶を買いました。

慣れない私を気遣ってか母が当日は泊まってくれたので
少し心強かったです

吐き気止めを打ってもらうのですが、やはり1~2回のおう吐と
薬が切れてきたであろう時間にはまた頻繁におう吐をするように
なりました。
水を飲んでもえずくのは本当にかわいそうだった

ここでまた腹の立つ話があって
母が夕食の時間帯に父が「おえぇ・・」とえずくので

「周りの人に悪いから・・」ってえずくのをやめろみたいな
ことを言います
癌患者で6人部屋・・本来なら個室に入るだろう所なのに
部屋が空いてないので、大部屋にいる。

はい、初日から母とケンカ~

いつもいつも、「人に笑われる・・」「人になんて言われるか・・」が口癖だった母。
おかげさまで、私も人の目が怖くてお外に出られなかった

年取ってから、「誰も見ない」ことに気付きました。

父は口で息をするので、口がカラカラ。
舌はひび割れて皮がむけている
水がまだ飲める時には、言われなくても水を飲ませるように
していたのだけれど、母と姉はあげてなかったのか・・?
と思うくらいひからびていたヽ(;´Д`)ノ

吐き気止めが効いているときは口をゆすぐだけでも・・と
口の中を湿らすことを心がけていました。

また、帰省するときに唇等をを湿らすためにガーゼを買ったのですが
結局これは使わなかった。
また、ペットボトルにつけるストローを買ったのですが、
これは後々、役に立ちました。

夜中は頻繁にえずくので、寝る暇もなく反対にやることがあって
充実した時間を過ごしました

うとうとする父がふと目覚めて「お前は寝ないんか?」と聞かれ、

「仮眠とったからね。ずっと起きてるから、吐きそうになったらすぐに
体を起こすからね。ずっと見てるから。」

・・と、ストーカーが言ったら怖い台詞を吐いておきました

どうにか初日はバタバタしながらも、無事終わりました

まぁ、問題は多々ありましたが