父のこと~その5~

2018年8月9日

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※別ブログから記事を移動しました。 2011年のことで、覚書として載せておきます。

姉に主治医と話をしてもらったときに、
ホスピスという手もあると言われたらしい。
緩和ケア病棟のある病院は、実家の周りでは2件だけでした。

緩和ケア病棟には迷いがありました。
緩和ケア病棟では、治療はしない。
苦痛を軽減し、最期を過ごしてもらうための場所。

私は黄疸の数値が下がるような処置をしてもらってから
ゆっくり(?)緩和ケア病棟で過ごす・・
これだけはやってもらいたかった

父の黄疸がひどく、主治医ももう一つの手術をしようか・・
でも無理っぽいみたいな話をしていたので、
その手術を他の病院で出来ないのかと考えました。

医大にも電話して(ここで主治医に伝わったか)

でも、とりあえず緩和ケア病棟のHPも見てみました。
とても良いイメージの病院でした。
そして、癌の治療もしているというページを見ました。

もしかしたら受け入れてくれるかも!!??

すぐに電話をして、話をすると、

「呼吸器専門なので、すい臓癌は診られない」とのこと。
そして、緩和ケア病棟は満室で予約しても2~3週間待ちかも
とのことでした。

私は、一般病棟で治療しつつ、でも最悪の場合緩和ケア病棟へ
移動できないか聞いてみました。

「一般病棟にいつつ、緩和ケア病棟の空き待ちをすることは出来ない。
他の方は、かかりつけの病院でまつか、自宅で待っている」とのこと。

私はどうしても治療しつつ、最期は緩和ケア病棟にと考えていると伝えると

「そうであれば、うちには合ってないかもしれません」

と言われましたが、方針であれば仕方ありません。
でも、手の施しようがないと言われて「はいそうですか」と引き下がりたくなかった
木曜日と金曜日の午前中に外来へ来ていただけば予約できます
とのことだったので、姉にメールして行ってもらうことにしました。

※私は関東、実家は関西
姉とはメールと電話のやりとりで何時間も話しました

末期のすい臓癌で検索すると希望がなくなります。

早期発見が非常に困難な上に進行が早く、
きわめて予後が悪い。
このことから「癌の王様」と言われている。

5年生存率は部位別がんのなかで最下位(5%)であり、
治療がもっとも困難な癌の一つである。  wikiより

母に転院の話をすると、

「この病院でいい。バスも出てるし、このまま(拘束したまま)でいい」
と、首を縦に振ってくれません。
父はこんなに嫌がって、暴れているのに・・自分から死にたいとまで言ってるのに

私がずっと父の看病をするから、姉がいるから車も
出してもらえるし、今の病院からちょっと離れた所だから!と説得しました。
渋ってはいましたが、どうにか納得してもらいました。
だから母は苦手。

9月11日からバタバタと・・・
どうにか父の思うとおりに進むように話がとんとん拍子に進み始めました。