鬱とわたし~その6~

2018年8月9日

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そろそろ妊娠後期になっていてもやはり切迫早産には変わりなく、
安静の日々が続いていました。

実家には毎日姉がご飯を食べに帰ってきていました。
あれ?嫁に出たら実家にはめったに帰ってきちゃだめって親は
言っていなかったっけな?

お昼ご飯を食べて、夕飯のおかずを毎日持って帰っていました。
帰ってきていい理由は、姉の旦那さんの稼ぎが少ないことと、
近所に変な人が住んでいるからとか。
姉が庭に出ていると、居るのをわかっていて、隣の人は外で立ちション
するのだとか。

・・・はぁ・・・。
子供への虐待で実家に避難したら帰ってくるなと言われるのにこの違い。

姉は親の言う事をハイハイと聞き、あまり怒られることはありません。
姉も私を見て「ああ、いらないことは言っちゃだめだな」と思っていたそうです。
私は実家でのお荷物としか思えませんでした。私は劣等感の塊野郎です。

そんな時、姉の子供の顔にたくさんのニキビのようなものに気付きました。

うちの息子は水ぼうそうの予防接種はしたものの、水ぼうそうにはかかって
いませんでした。
もし、潜伏期間があって水ぼうそうが発症した場合、産まれてくる子供にも
移ってしまう可能性があります。

もし、新生児に水ぼうそうにかかってしまうと重症化する可能性もあると
ネットで見て、姉と親に「水泡が枯れるまで来ないでほしい」と訴えました。

姉は「水ぼうそうは空気感染しないから!」となぜ実家に帰ってきてはいけないと
怒ります。
母親は「姉の近所には変態がいるのに!なぜあんたが帰ってくるなと言うんだ!」
と責められました。

水ぼうそうは空気感染することを強く訴えました。
同じ空間にいるだけで移ることも訴えました。
しかし、姉が実家に帰ることは決定事項であり、私は飛び込みで里帰りしている身。
しかし、私も自分の子供を守るために泣いてはいられません。(泣きましたが)

どうにか説得して(ネットの情報を見せたり)、姉は実家に来ると2階で過ごすことに
なりました。
姉の子は小さいので、やはり1階に降りて遊びたいでしょうに、もうすぐ出産予定の私と
息子のために実家では2階に缶詰め状態でした。

この件でも、おっさんに泣きながらもう実家にはいたくないと訴えましたが、
電話の向こうではどうすることもできず・・・
私は義実家でお産も考え、義母に相談もしましたが当時は義母も働いていたので
お世話が難しいと言われて断念しました。

あれだけ義実家にストレスがかかっていたのに、義実家でお産を考えるほど
実家でのストレスに押しつぶされていました。

でも、義実家でお産していたら、義実家との関係は変わっていたかなとも
考えますが、良い方向に行くかストレスマックスで会わなくなるか・・
後者が強いと思いますが、実家でのお産で今の所はよかったのかもしれません。

実家での、姉と私の対応にやはり「私はかわいくないんだなぁ」と考えてしまって
悲しくなるのです。
お世話をしてくれているだけで感謝なのですが、家族で笑いあえるという理想が
強すぎて一喜一憂の波が激しかった覚えがあります。

どこにでもある、家族とのすれ違いですね。
特に私は「愛されてない!」の考え方が強かったので家族の絆~とか、家族との仲~を
追い求めていました。

私の理想とする家族にはなれませんでしたが。

でも、べったり付き合う仲は面倒だし今の関係がベストではないかと
思ったのがここ最近です。
アダルトチルドレンがぴったりくる私ですが、絶望と希望と繰り返し
考えが少しずつ変わってきました。
鬱も、もう〇年だよ!と言っても、〇〇年と桁が変わっても、どうにか生きれます。
生きてます。

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イラストメモ
使用ソフト
イラスト:Photoshop

細いペン描きやすいかもしれない。
文字を太くすると、細かったり太かったりで安定しない。
まだ慣れない!試行錯誤します。

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