人の為でなく、自分の為に

2018年8月9日

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息子とは結構会話をする方です。
昨日は仕事場で「発達障害」の人と接した事など
いろいろ情報交換しました。
発達障害といっても、幅広いのでみんなが同じとは
限らないのですが、義父とおっさん、次男は同じ考えの
持ち主でした。

発達障害のことと、おっさんの話をしていると
息子が昔のことを思い出して泣き始めました。
息子はもう、おっさんの顔も忘れてしまったとは
言っていましたが、嫌な思い出はしっかり残っているようです。

自分は父親に嫌われていた。
それでも、誕生日プレゼントに時計を贈られたが、
amazonから届いたものは、印刷されたメッセージが
同封されていて、それが息子は許せないほどだったらしい。
荷物だけ送ってくるだけでなく、なぜ一言メールや電話で
祝ってくれないんだろうか。と嘆きます。

でも、よく考えてみるとおっさんは「人が喜ぶものを贈る」より、
「贈ったことによる感謝の言葉」を望んでいました。
私の苦手なものを送ってきて、「お礼の言葉もないの?」と
言われた事がありました。

私が体調の悪いときに家事をしてくれた時も
私の為でなく、感謝の言葉を待っていたようでした。
これは息子がおっさんから聞いたのですが、
「お母さんから感謝の言葉がない」と言っていたとのこと。

息子もそのことを話していると、はっと気付いたようで
おっさんに「感謝の言葉があると思った。」と言われた事を思い出して、
自分のこと(息子)より、おっさん自身への謝辞が重要だった事が
わかったようでした。
おっさんは常に「お礼を言われたい」と言っていたので、
物を贈るのも、その人が喜ぶものではなくても贈りつけて
感謝の言葉を待ちます。
息子は「普通、喜んでもらえると思ったって言うんじゃない?」と
言っていましたが、確かにそうでしょう。

おっさんたちのことについて、ダラダラと意見を言い合っていると
また数時間話しっぱなしになって、朝方まで話していました。
お互いがカウンセリングを受けるように話し合うと、
「人の気持ちがわからない」病気があること、それが義父、おっさん、次男と
受け継がれていることが改めてわかりました。

「人の気持ちがわからない」というのは嫌味ではなく、
本当に「わからない」ので、「そんなつもりで言ったんじゃない」という
言葉も今ではわかります。
それでも、やっぱり何度も傷つけられると心も病みます。
義母はジサツ未遂をしたし、私は鬱になりました。

色々話していて、息子もおっさんの性格が見えてきたようで
「だからあんなこと言ってたのか」と納得していました。
少しでも息子の心が軽くなるようにと話しましたが、
子供に話す内容としてはちょっと悲しいものがありました。

こんな親で申し訳ない。

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イラストメモ
使用ソフト
イラスト:SAI2

久しぶりにおっさんを描いた気がする。
ぼかしておこう。

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