鬱とわたし2~その16~
ここから先は私の暴走でもあり、病院にも迷惑だったであろうと思います。
でも、それが父のせん妄であったとしても願いを聞きたかった。
改めてメモと過去ブログを見ながらのイラスト付きは結構精神的にきます。
もう一度頭の中を整理するいいチャンスかもですが、キツイ。
病院に行く前に姉にはインターネットで調べたことをいろいろ
伝えていました。
モルヒネの量を加減してもらって幻覚はどうにかならないか?
父は関東にいい病院がないか入院前に聞いていたので転院はできないか
父は生きたいと言っていました。
しかし、入院した病院はそこまで大きな病院ではありません。
末期がんで余命宣告されているのに個室も空いていないので
6人部屋でした。
すい臓がんの末期だし、転院も厳しかった。
市内にある大学病院に電話したけど、やはり無理とのこと。
数件病院に電話したけど近場ではよい病院はありませんでした。
何かできないかもがいていたけど、私は手の施しようがないまで
父のことを放置していたので今さらですが。
8月9日にガンがわかり、私が1度目に帰省したのが9月11日。
1か月以上も経っていました。
父に会いに病室に行くと、黄疸で体が黄色くなった
父がベッドにいました。
私の顔を見ると父はこういいました。
詳細は「父のこと~その2~」
幻覚も見えていて、家に帰ると聞きません。
ここで「あれ?いつもの父じゃない?」と思いました。
夜に暴れるので拘束されているとか。でも昼でも拘束されていましたが。
どうにも看護師さんが足りなくて目が離せないので拘束しているとか。
なんだそれ・・・。
人が見ていたら拘束具は外してもらえるとのことで外してもらいました。
夜はつきっきりで起きていたら夜も拘束されないとのことで私は
泊まり込みで付き添うことにしました。
当時、躁状態だったので細切れ睡眠でも寝なくても大丈夫でした。
この時は「あ、今は躁状態だ」と自分でもわかっていましたし、
逆に「躁状態で良かった」と思いました。
ふと、覚醒した父が
「・・・ここにいるくらいならシにたい。」
「俺はジサツはしないけどな。」
と私に言います。
これをせん妄と取るか?
どうにかしてあげようと思うのは偽善だったか。
姉にもああしよう、こうしたいねと話していました。
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イラストメモ
使用ソフト
イラスト:Photoshop
キツイよ~キツイよ~
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