父のこと~その18~

2018年8月9日

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※別ブログから記事を移動しました。 2011年のことで、覚書として載せておきます。

(元)旦那達が実家に来て、母は「家に泊まりなさい」って言っていたけど
私は子ども達に会わせたくなかった。

両親共に、ぐずる長男に対して「キチガイ!こんなキチガイに育てやがって!」
と言った言葉は忘れられない。
次男の食物アレルギーにしても

「食べないから治らない。どんどん食べさせろ」と

殺すつもりですかと言うことばかりだったので。

こんな思いするのに、なんで会わせていたんだろうなぁ我慢しすぎた。
大きくなった長男をみてびっくりしていたけど。

父とも最後、握手をしていたけど最初で最後になったね。
複雑な思いで握手をしていたけど私も複雑だった。

実家には泊まりたくなかったので、銭湯の駐車場に停めて一夜を過ごしました。
みんな疲れているのに車中泊なんてごめんだけど、お金ないの。

本当にみんな、お疲れ様な一日でした。

翌日は葬式の日。

葬式には出るつもりはないと(元)旦那には伝えていたけど、

(元)旦那はとりあえず喪服を持ってきていた。
にいちゃんは学ランを持ってきていた。
次男は黒い服が無いので、店に買いに行ったけど140cmの黒い服(スーツ系)がない。
しょうがないので次男は普段着ている服で出席しました。

私は葬儀場より少し離れた所に停めて外から伺っていました。

「今、中では葬式なんだろうな・・」

「あ、親戚が近くに停めた!隠れなきゃ!」

なんて思いながら待っていました。

しばらくすると、母や親戚達が外に出てきて棺桶を運んできました。

ああ、最後の別れ!

と思ったとき、少し開いた窓からカメムシみたいな虫が飛び込んできました。
父が幻覚なのか、「虫がおる。カメムシみたいな」って言っていたのを思い出しました。

その時、霊柩車が 「フォーーーーーーーーーーーン」とクラクションを
鳴らしてゆっくりと出て行きました。

  さようなら

私、死に目に会わなくてもいいと思っていた。
死後の世界って言ったら笑われるかもしれないけれど、
死んでから会いに来ればいいじゃない?って思っていた。

でも、会ってみてやっぱり来るんじゃなかったって思うことも
たくさんあったけど、一緒に過ごせてよかったと思った。

さぁ、この残ったトラウマとまだ戦わないといけないけれど。

あれから母の電話には出るようにしている。
やはり一人では寂しいだろう。

しかし、親戚達に「かぼすちゃんが看病してくれた」武勇伝を
言いまくっているらしい。
あれ?何もしない娘じゃなかったの?
ただの自慢材料にしかないのだなぁ。

葬式に出なかったことを親戚が「はあ?(怒)」って言っていたと聞いたけど。
あんなにいいご両親なのに、あなたは何をしているの?
ほっといてください。母の情報だけで私を責めないで。

こんなおばさんになっても、まだなお「両親に愛されたかった」と
思うなんて、よっぽどだ。

甘えるな!!!

と自分に言い聞かせても、やっぱり心は子どものままなんだなぁ。

鬱病を発症してずっと泣いていた。
もう昔のことなのに
「でも、あのとき××って言われたのが悲しかった」
「でも、あのとき○○って言われたのが悲しかった」

でも・・でもと振り返っても、前には進めない。
終わったことを悔やんでも仕方がないことはわかってるけど
どうやって自分をごまかせばいい?

父が亡くなってしばらくすると昔のトラウマが薄れてきました。
呪縛から解き放たれた?EMDR(トラウマ治療)の効果?
両親に愛されたかったと言いつつも嫌っている自分もいる。

父の看病から葬式まで数日の出来事ですが
ここまでいろんなことがあって、ゴチャゴチャしていました。
とりあえず、私の生きてきた記録としてブログに書いておこうかなと。

ということで、「父のこと」はこれで終了です。

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旧ブログ(閉鎖済み)から移動させましたが、顔文字が多く、
「・・・」も多用していて修正が大変でした。
もうちょっと大人な文章が書けるといいなぁ。疲れた。

父の死から6年ですが、もし昔に戻れるとしても同じ行動をすると思います。
しかし、親戚や主治医には私が悪役のように伝えていた母と姉には
ちょっと・・というかかなりショックを受けました。
せん妄の父のことを真に受けての暴走と思われるかもしれないけれど
母と姉と相談して決めたことなのにどうしてこうなったんだろう。

この時は、もう家族は関東にいるうちの家族だけ!と思っていたけど、
また人数が減って家族はもう息子だけ!になっちゃいましたが。
ははは。

息子がいてよかったなぁ。