父のこと~その9~

2018年8月9日

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※別ブログから記事を移動しました。 2011年のことで、覚書として載せておきます。

最後まで一気に書けるかなーと思っていたら
やはりここら辺で書けなくなってしまった
胃が痛い・・

転院当日。まだ転院先の病院から「何時に入院してもよい」か
連絡が来てません。

今、入院している病院に連絡が入るとか。
そして、退院手続きと支払いを済ませないといけません。

朝から父がそわそわと「まだ行かんのか?」「まだか?」とせかします。
転院先の病院からも連絡ないし、支払いがいくらかわからないし
「支払いを済ませないといけないからね」と言うと、

「外で待つ」

と言います。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工 ちょっと、それは無理・・
20日の天気は雨で、風も強かったので

「雨が降ってるからね」となだめます。

でも、すぐに話題をそらすと忘れて同じことを繰り返します。

ふと、昔父が指パッチンが上手なのを思い出し、
「うちの子供達にじーちゃんは、指パッチンがすごいって言ってるんだよ。
23日にまた子供達来るから、見せてやってよ」というと、

震えながらも、指をなめ、指パッチンをします。

スカッ・・・スカッ・・・・

力が出ないので音が鳴りません。

「・・・・ならんわぁ・・・・」

あああああ、私のバカバカ。いらないことを言ったか・・。

「・・まだ時間あるから、転院先で元気つけて練習しよう」
と言いましたが・・歩けなくなり、立てなくなり、起き上がれなくなり、
指パッチンもできなくなり・・・どんどん弱っていくのが目にみえるので
本人もかなりショックみたいでした。

しばらくして・・いつも朝に話しかけてくれる看護師さんがいらっしゃるのですが、
その方は、私の同級生のお母さん!!
「もしかして・・かぼすちゃん?」と言われ、名字が(めずらしいので)
そうかなと思ったと。
・・もう20年以上も前なのに名前を覚えていてくれてうれしい 

私が帰省したときからずっと、朝に話しかけてくれて
徹夜した朝には「疲れたろう」とスティックコーヒーをくれました。
本当にやさしい方です。

転院前に担当の看護婦さん達が挨拶に来られました。

「○○さ~ん。今日、退院じゃね。お誕生日一緒に祝いたかったよ~」

9/30が誕生日だったので・・。
ズキンと心が痛みました。
私が転院させるようにしてしまったので・・・。

父が目を細めて笑います。力なく。

転院が11時に決まりました。
10:30に私と姉が荷物を運びます。
10:40に救急車にて転院先の病院に移動しました。

移動前に夜中に父の言葉を思い出しました。

「外の空気が吸いたい」

母に「救急車に乗る前、父さんに「外だよ」って言ってあげて。
うつら、うつらしてたら、きちんと起こして「外に出たよ」って言ってあげて」
と伝えました。

姉の車にタオルや、持ち込んだ折りたたみベッドなどを
詰め込み、転院先に向かいます。

元いた病院より10分もかからない

転院先へと着きました。

呼吸器系の病院らしいですね。癌治療もしていると書いてあって
ここなら!と思ったのですが、やはり「肺ガン」などが専門でした。
すい臓がんは無理とのことで・・

一般の病棟と、緩和ケア病棟があります。

海の見えるとても綺麗な施設でした。
大きな窓、外は庭が広がり、向こうには海が見えます。
HPにあるような病室で、ホテルのようでした。
あいにく、当日は雨で外の景色は半減していましたが

もう・・・ここに来たら、治療はない。
あとは死を迎えるだけ。

普通の病院なら、心臓が止まったら心臓マッサージ等、
延命治療をするが、ここではしないとのこと。

自然にそのまま・・・・

本当なら、治療できる病院へ移りたかった。
まだあがきたかった。

・・・父を見ていると、それも、もう無理・・・と
素人の私でもわかりました。

ある意味、父をだまして(治療を目的とした転院と言っていたので)
転院させた自分。
まだ前の病院にいた方がよかったのでは?

でも、もう戻ることはできません。

受付に向かい、担当の看護師さんとミーティングルームに向かいました。